ブログを記すには久しい。
日々、平凡に過ごし特記すべきこともないのかもしれないし
また、昔に比して記す内容にも一考を要する必要に迫られているのかもしれない故に書けないのかもしれない。
さて近々の私事の大イベントは
富士登山であった。
17~18日に登頂した。
20歳の時に登頂したことがある。
若かった。弾丸登山であったが、なんか簡単だった印象があったが
よくよく考えると、普段から運動してない「いい年のおっさん」が富士登山など
8キロの急峻な山道を低酸素の中での行動がどうなるか?は容易に想像がつく。
自分の周りの8割強の人々は
「そんなきついことなんでするの?」とか
「なんの意味があるの?」という。
確かにその考えも理解ができる。
しかし、登山は本能をむき出しにできるし苦しみの後の達成感は経験者のみぞ知り得る快感であろう。
富士宮登山口までバスで移動した。
団体登山のたぶん関西の大学生であろうグループの後をついていった。
彼ら彼女らは若い。歌い始めた。
♬「歩こ~歩こ~私は元気~歩くの大好き~」トトロだ。
7合目についた。すでに雲上である。
彼ら彼女らは若い。歌い始めた。
♬「あの地平線、輝くのは~」あっ 天空の城ラピュタだ。
8合目で山小屋に宿泊し人生初の寝袋で寝た。
カプセルホテルの壁がない感じのところで押し入れで寝ているようだった。
左右は南米系の外国人だった。とにかく寒かった。
8合目からは自衛隊の富士の演習所が丸見えであった。
照明弾を用いた訓練が行われていた。
この平和に日本に違和感を感じたが有事の際の必須なのであろう。
登山者に悪い人は少ないと思った。
知らない人がやたら挨拶をする。
話しかけてくる。励ましてくれる。
ゴミはほとんどない。持ち帰ってる。
たしかに反社会勢力の人と登山は結び付かない。
とにかく苦しかった。
呼吸はままならずも脚も進まなかった。
200m進むのに30分以上かかる。
50mももたずに休憩をした。
ご来光には間に合わなかったが
登頂はした。
外国人が多かったわけだが
自国の国旗を振りかざすもの
なぜか旭日旗をもってる黒人。
韓国人もいるのに!
登山中は苦しくて、後悔をした。
下山直後は二度といくまい。と思った。
じかし2日後の今、筋肉痛絶頂の今、なぜか来年も行きたくなっている。
もちろん少しはトレーニングしてから・・
登山は不思議である。
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