1882年4月6日13時ころ
前年の国会開設の詔を受けて
自由民権運動はピークを迎える。
自由党党首の板垣退助は静岡、浜松、名古屋を経て
岐阜で遊説をした。
不平士族の一人が板垣を刃あたり約30cmの短刀で切り付けた。
7ケ所の傷を負った。岐阜事件である。
愛知県から板垣の治療のために後藤新平という医者が派遣させた。
驚くことに当初、県は治療にためらったらしい。
もちろん「板垣しすとも自由は死せず」なんて叫ぶわけもなかった。
この板垣遭難から125年後、その地で某カメラ店主催の撮影会に
古いお客様にお誘いいあただき一カメラマンとして参加した。
板垣退助像。
みんな美人さんである。
ここは岐阜県である。
モデルさんたちはみな18歳以下ということだ。
もちろん愛知県条例でも18歳未満でもこのような撮影会なら参加可能である。
しかし、そんな撮影会を愛知で実施したら違法でなくてもめんどくさくなるんだろう。
この撮影会の午前の部(私の参加は午後の部)では15歳未満モデルさんがいたそうだ。
岐阜は緩くていい。